娘の卒園式を終えて1-思い出の園舎
すっかり、ご無沙汰してしまいましたが皆様はいかがお過ごしでしょうか?
ご無沙汰している間に、娘はモンテッソーリ綜合研究所付属「子どもの家」を無事卒園いたしました。
→モンテッソーリ綜合研究所付属「子どもの家」
去年の卒園式は震災の影響で1週間のび、様々なおうちの事情で卒園式に出られないお子さんもいらっしゃいました。今年、全員そろって無事に卒園式・謝恩会を開けたことは今となっては奇跡のようにも思えます。
今年は私自身、我が家恒例の年始スキーの折、風邪をこじらせて肺炎になり1ヶ月寝込みました。その間に緊急入院した実父は先生の「余命」宣告の通り亡くなりました。病み上がりの朦朧とした意識のまま、治らないことを知らない父親に毎日顔を合わせ、日々看病疲れしていく母を見るのは非常につらく、それでも「別れ」の時間をきちんと持てたことは、どれだけ救いがあっただろうかと、突然大切な人やものを失くした方々の痛みを想うと胸が苦しくなります。
私達の幼稚園生活も、地震とは切っても切れない事件がありました。
2009年4月。娘がプレ年少さん(2歳児クラス)、息子が年中さんクラスを終える頃でした。保護者から出た「耐震性への不安」の声に事を発し、調査の結果、幼稚園は「引越し」をしました。今の園舎にも思い入れはたくさんあるのですが、今回は旧園舎のお話をしたいと思います。
(そして、環八にたつビルの現園舎が子どもにとっては「昔とちっとも変わらない、おんなじ幼稚園」と言われているフシギについては、また違う機会にお話したいと思います。)
昔の園舎は「鳳凰閣」といい、洗足池の自然あふれる環境に建っていました。元は渋沢栄一が財界人達と建設した「勝海舟記念館」でした。
のぞくと、こんな風にレトロな空間です。
大きな部屋が二つあり、その横に図書コーナーと和室&キッチンがありました。
図書コーナーには各種図鑑が揃い、絵本もたくさんあります。お兄ちゃんが年少さんの頃、「シンデレラ」を借りようとしたときに、お友達に「それは女の子の読み物だよ」と言われて、恥ずかしかったのかその週は借りられなかったことがあったのを思い出します。(先生の手助けもあって、翌週誰にも知られずに、無事シンデレラを借りて帰ってくるのですが・笑)
レトロで、清潔なキッチン
和室では、お茶会やひな祭りには七段飾り(年長さんが先生と飾ります)、端午の節句のお兜さんを季節ごとにあつらえてくださりました。普段は、折り紙をしたりアイロンがけのお仕事のスペースになっていました。
耐震性が不安なため、引っ越す前の2ヶ月ほど閉じきった奥の大きな部屋への入り口の分厚い壁は、かつては「貴重な文献」を収めた書庫だったための倉のような入り口になっていました。
空間はゆるやかに教具棚で区切られていて、大人の目線の高さではひとつの空間に見えますが、子どもには小さな空間やお部屋がたくさんあるように見えたのではないかと思います。
毎年テーマを決めて製作される「壁画」。この年は「時間」で、写真は「朝」と「夜」になっています。毎日「日付」を書いた紙片を部屋の壁につなげて貼って、1年たったら「ものすごい長さになっている!」紙を巨大蛇のようにみんなで持ちました。「見えない時間」を「見える」ようにする工夫に目からうろこでした。
「途中」のお仕事をしまっておく棚。何ヶ月もかかるお仕事もあれば、すぐ終わるお仕事もありますし、「今日はこのお仕事の続きはしないけれど、明日の朝やる」ということを「自分」で幼児がスケジュールを組んでいるフシギを垣間見れます。
鼻をかむ時、ティッシュを左のフェルトの上に乗せて、ガイドラインどおりに半分に、つぎにまた半分に折ると「かみやすい」大きさに2歳児でもできます。
整理整頓された、教具棚は大人の腰ぐらいの高さですが、子どもには仕切り壁ぐらいの高さに感じられると思います。教室にいくつもの「コーナー」があるので、安心して好きなところに椅子を置いたり、じゅうたんを敷いたりしてお仕事に取り組むことができます。
現在は、大田区が買い取ることになったようで取り壊されないことになったらしくホッしております。
by dobashiyoko
| 2012-03-14 23:21
| モンテッソーリ教育